2010年6月27日

音楽を愛するT様

先日OHKに伺った時に、スタジオでじっと聴いていらっしゃった編成局長の高橋様、あ、気に入っていただいてるということは判っていましたが、もともとこのまさに業界で長く深く音楽に接していただいたその感性で波動スピーカーにご興味いただきました。
実際、ご自宅に導入いただいてのコメントは私の伝えたかった諸々をまさに表現いただきました。
この何日間のコメントですが、素晴らしいコメントですので、ご本人のご了解をいただき、ご紹介いたします。
「今日午後に仮セッティングをいたしました。
大変驚いています。
低音を出しているのにエンクロージャーが振動していません。どうなっているのか・・・
スピーカーユニットが私に正対していないのにまっすぐに音が飛び込んできます。どうなっているのか・・・
しかも中高音の美しさとクリアは一級品です。
ボーッと聞くつもりが聴き入ってしまいました。
ややベースの旋律が甘いかなと感じますがエージングを全く行っていませんので日増しに下も伸びてくると思います。
10cm程度のユニット一個でユニットからの想像を絶するクオリティの音が出ています。
定位の良さで結局小型スピーカーファンになりましたがそれでも頭の位置を気にしながら聴いていました。
その窮屈な感覚がなく気持ち良いです。フルレンジシングルコーンの音のつながりも気持ちがいいです。点音源から聞く音楽はノーストレスです。
気楽に音楽を流そう・・・と思って購入させていただきましたが悪い癖が出てスピーカーの台を変えたり高さを変えたりしていましたが、びっくりするぐらい反応します。
スピーカーケーブルを変えることでで鮮度が増しますし、アンプのコンセントの右左差し替えでもきちんと音質の良否が判断できます。
音を曖昧にして音楽を楽しもうというもくろみが完全に崩れましたしそういう考えは失礼だったと反省いたしております。
出音に神経質になることからは解放されそうですが、きちんと基本を押さえてやればそれにはきちんと答えてくれるので楽しい道具です。
また特筆すべきはモノラル録音が生き返ったように新鮮に響いてくれることです。私のコレクションは古い年代のモノラルLP盤がJAZZもクラシックも多いのですが「楽しめます」
プレスティッジ盤もウエストミンスター盤も分厚く立体的に再生します。ステレオ録音って必要だったのでしょうか・・・疑問です。
システムがハイクオリティになればなるだけ些細なことにいらいらしてしまうのですが、この再生音はハイクオリティでありながらあら探しをする気になりません。
 
いいものしか鳴らさないという高飛車感もなく、お遊びの安物FMチューナーの音も最高でした。
思わず1001Mを分解して中を覗きたくなりますがやめておきます。
ところで質問ですがスピーカーを巻いてあるカバーの色違いを購入することができないのでしょうか?濃い茶色とかを巻いてみたいと思いました。
聴力の衰えで音楽から遠ざかっておりましたがまた楽しむことができると思います。
ありがとうございました。」
1001Mを半日鳴らしておりました。
アンプに火を入れるのも相当久しぶりだったということもあり昼間はスピーカーだけではなく装置全体がなじんでいなかったようです。
昼間にやや弱く感じていた部分もだいぶちゃんとしてきました。
今サキソフォンコロッサスを小音量で鳴らしていますがとんでもない状況ですのでご報告いたします。
すごすぎです。
マックスローチのドラムロールの太鼓の皮の張りが体感できます。ソニーロリンズの「ブハーッ!」が吹き切れています。
ピアノがヒステリックになりません。4つの楽器の音が被らず濁りません。
小音量でも全体の音楽の輪郭が太く、しかし柔らかで繊細です。
購入前に予想していた再生の方向とまるで違っていました。ひとつひとつの音がきちんと音として鳴っているのに空間で音楽として再構築される感じです。
今までになかった感覚です。随分長い間、音をとるか音楽をとるか・・・という選択を強いられていましたが全てが解決しました。
私の何十年にもわたる悪戦苦闘はなんだったんだろうかと思ってしまいました。
なにげなく音楽を・・・ではなくのめり込んで聴いてしまいます。本当に私は耳が悪く(病気)なっているのでしょうか?と思います。
ピュアオーディオの上を行く世界感です。
なめておりました。申し訳ありませんでした。」
「昨日やや不満と申し上げたベースの旋律の甘さが消えました。
原因は、CDプレーヤーの電源コードの左右差し違えでした。
レコードはふくよかなんだけれどCDは音が痩せる・・・しかたないのかなあ。。。。と昨日は諦めてLPばかりを聴いていましたが
これまで正しい位相と信じていたCDプレーヤーの電源コードを差し替えたところ全て解消です。
これまでも電源には注意をはらっていたのですがこれまでは右左差し替えても音は変化するものの微小でありしかも変化が一長一短でした。
しかし、このスピーカーはドンピシャで反応します。
昨日家ににスピーカーが到着して一番に鳴らしたのが渡辺貞夫さんの1974年新宿ピットインのライブ録音盤CDだったのですが(それでベースの件を申し上げました)今日再度鳴らしてみました。その際もしやと思いコードを差し替えてみたのです。
なんと、きっちりとベースを刻んでくれました。音の切れも音楽のふくらみも増しました。
ああ、これでLPもCDも何の不安もストレスもなく音楽に浸れます。
ちょっとした手入れに本当に敏感に反応してくれることにとても驚いています。
是非お客さんに電源の差し替えで音を確かめるようにアドバイスをしていただきたいと思います。
これまで本当にゆっくりLP片面をフルで聴いた事はすくなかったです。
聴き始めてしばらくすると音楽のどこかに違和感や、あく(灰汁)のようなものを感じてその度に機械のどこかをいじりその結果部屋は滅茶苦茶、コードやケーブルやペンチが散らかり放題、、、で疲れ果てて寝てしまう繰り返しで音楽は人生を台無しにするものだから足を洗おうとさえ考えていました。
で、三年前に東京から戻ってからも音楽に戻ることもなくほぼ10年以上音楽から遠ざかったままだったのです。
今回鳴らしているアンプは30年以上も前のラックスのトランジスタプリメインアンプでデザインが気に入っていて捨てられずに、数年前にオーバーホールに出さしたままでそれ以来もう何年も火を入れていませんでした。昨日鳴らし始めた時にはコンデンサーが放電してしまっていてノブ類をいじるとバリバリとノイズが出る程でしたが今日はもう伸び伸び鳴ってくれています。
私が持っている音源が古いものばかりですので新しい機械には触手が伸びませんし親しんだ昔の機械には時代の美しさがあります。
多分このスピーカーをもっと上手に鳴らすアンプはあるのでしょうが僕はこれで十分だし現役を退いていた年取ったアンプを生き返らせてくれたのがこのスピーカーだったとも言えます。
多分このスピーカーはそれぞれのアンプやプレイヤーの力を最大限に引き出してくれるのではないでしょうか。普通はアンプやプレイヤーがスピーカーの力を引き出すのですが逆の構造のような気がします。
真空管のプリアンプとメインアンプで鳴らして見たい気もしますが、若いころに無理をして買ったこのトランジスタプリメインでしばらく楽しんでみたくなっています。
私はハイエンドのオーディオマニアではありませんし薀蓄をたれることは本意ではありませんが、うっとりとなんの心配もせずLP片面CD一枚が終わっていく心地よさを生まれて初めて味わっていることをただただ感謝してお伝えしたかったのです。
おおおお!!!!、音が詰まって音楽になっていなかった渡辺貞夫さんのカリフォルニアシャワーが分厚い音楽になって響いております。
70年代後半のフュージョンレコードはどれもレンジの狭い詰まった聞き苦しい音楽にしか録音できていなかったと思っていたのですがそんなことはなかったのですね。
カリフォルニアシャワーは鳴りにくいので幾たびかオーディオショップにもって行き、とんでもない高価な装置で聴いてもやはり鳴らなかったので家の装置が悪いわけではないのだと納得して帰ってきていたレコードでした。
しかし低域から高域まできれいなピラミッドを描いてどっしりとした録音だったのでした。いい音楽にふさわしい再生音で鳴っております。
どうしようかと思って持て余していた2000枚のLP。死ぬまでにもう一度全てに針を落とせそうであります。
涙が出てきそうです。
音楽の再生に何十年も孤軍奮闘してきた泥沼の人生が報われる気がしております。40年間が走馬灯のように頭を巡ります。
出会いたかったのはこの音だったのです。
縁とはこういうことを言うのかなとシミジミしております。
お目にかかれたことを本当に感謝いたします。」
「今日で三日目です。
音の鳴り方にも慣れてきました。
昨日も書きましたが驚きと疑問が生まれ、以下はそれに対する僕なりのまとめです。
スピーカーのユニットのコーン面が聴く者に正対していないのにクリアな音が出る不思議についてです。
これまで僕が音楽や音の再生に間違った考え方をしていたのだろうと思います。
これまでずっとレコードの溝にはひとつひとつの音が刻み込まれておりそのひとつひとつをくまなく拾い上げるとことが良い再生方法だと思っていたのです。
ひとつひとつの音を濁りなく拾い上げ、スピーカー面からダイレクトに耳に入れるというイメージでした。
しかしそれは間違いというか錯覚であったように思います。
よくよく考えればレコードに刻まれた溝は録音される空間に生じる空気の振動が閉じ込められていたのです。
金属の音がスピーカの紙から再生されるはずはなく金属の音に似せた音を聞いているのだ、と考えていましたが実はスピーカーは音場の空気の振るえを再現していたのだと気がつきました。
コーン紙はトランペットの金属音やシンバルの金属音を再現してはいません。空気振動を再現していたのです。
音のひとつひとつではなく空間の空気振動を伝えるのですから、コーン紙からの直線的に耳に届く音の必要は生じません。しかし1001の登場までそのような考えに基づいて作られたスピーカが存在しなかっただけです。
私の再生に対する勘違いは「ウサギ追いしかの山」を「ウサギ美味しかの山」と何十年も理解していたようなものです。
再生装置は音ではなく音楽を再生するのだ、ということはロジカルに言えば音場の空気振動を再現するのだということになります。
音場の振動が正確に美しく生き生きと再生できればそれは「良い音楽」の再生、ということだったのです。音場の振動全体の中にひとつひとつの音が存在しているのです。
なんだか音楽を聴くことが気が楽になりました。
天動説が地動説に変わったくらいの世界観の転換でありました。
最後に、悪い癖の結果を一つ。
スピーカーを少し前後に回しバスレフの穴が自分から見て前にくるようにしたり後ろにくるようにしたりして遊ぶと音の表現が変わります。
バスレフの穴をやや後ろに回すとたとえばピアノの音が前に出てシャープになったりします。
スピーカーを適当に転がして音楽を流そう、、、という企ては失敗してしまい結構いじってしまっておりますがこれまでなかった楽しいいじりです。
絵になんの不満もないのだけれど絵を掛ける場所を変えて楽しんでいるといった感じであると言えばご理解いただけるかもしれませんね。
本当にありがとうございました。
ご縁に心から感謝しております。」





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